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2005 / 11 / 19 ( Sat )
空を見上げてにこられた皆様へ

この病気のことを知ってもらいたい! 書かなきゃいけない。
そうおもって書くことにしました。こんなことをネット上に公開しなくてもいいのにと思う人もいるかもしれない・・。 
でもやっぱり話さなきゃ・・。知ってもらわらきゃ・・。 

私の思いを思うままに書いていますのでこんなこと読みたくないという方はごめんなさい。こんな思いをするのは、私1人で十分だから・・。そんな思いでかくことを決意しました。
こんな病気を他の誰もかからないでほしい。そんな願いを込めて・・・
病気が判明してから4年が過ぎ、現在は落ち着いていますがいつどうなるかという不安はずっとあります。今は家族全員で応援し、このままの状態が続きますようにと祈っています。

同じ病気で苦しんでいる方、同じ病気のお子様をお持ちでいろいろ悩んでいる方といろいろお話できたらと思っています。
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22 : 00 : 09 | 空を見上げてにこられた皆様へ | トラックバック(1) | page top↑
2005 / 11 / 19 ( Sat )
コーツ病とは・・・・
医学的な説明はこういうこと)
・生まれつき、眼底(網膜)の一部の血管が弱く、血管から血液の成分が滲み出し、
網膜に障害を起こす病気。
・目の中(眼底)にある網膜(光を感じる膜)に異常な血管があり、
その血管から、血液成分が滲み出し続けるため、次第に病変部の網膜の機能が低下する。
また、滲み出した液が網膜を押し上げて、網膜剥離とよばれる状態になる。
原因は不明。乳幼児にもみられ、先天的なもの。治療は、
その異常血管を早期にレーザー治療(または冷凍凝固手術)する。
網膜剥離になる前に治療した方が、視力経過はよい」ことがわかっている。

多分、多くの人がなんのことだかさっぱりわからないと思う・・。 私もいまだに正しい解釈はできていない。私の説明が正しいかどうかは、わからないけど、簡単に言えばこういうこと......................
 
 ・先天的、つまり生まれつきの病気。遺伝性ではない。
 ・この病気は、目の血管の病気であるということ。
 ・今までの症例は少なく、見つかることは奇跡的だということ。
 ・片眼性(つまり片目だけになる病気)で発祥率は5歳~6歳
 ・本人にも痛みはなく、なんの症状もない。
 ・ほとんどが男の子におこっている病気。
 ・女の子の例はほとんどなし。
 ・放っておけば、確実に失明するいうこと。
 ・今の医学での治療法はレーザー治療又は、冷凍凝固手術のみ

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21 : 58 : 43 | コーツ病とは・・。 | トラックバック(1) | page top↑
2005 / 11 / 19 ( Sat )
■その後・・・   

病気が判明して4年がたちました・・。 
今現在は大学病院への通院を1年に1回しています。 これまで3回のレーザー治療を行いました。
麻酔なしでやってみようということで、挑戦し、ゆうきは見事にやってのけました!! 
それでも1回の治療の限界があり、まだまだ治療はたりない・・。 
これからもずっとゆうきにつきまとってくるこの病気。
でもきっと強くなってくれる。きっと立ち向かっていける。そう信じています。 
私にできることは少ないですが、してやれることは
すべてやってやりたいと強く思っています。
そしてゆうきだけの問題ではなく、家族でこの病気と闘っていこうと思っています。

目の検査というのは、なかなかしないもの。眼科にもなにかないと行きません。
でもこの病気を知って、現実に我が子にふりかかった時、
もっといろいろなことに気をつけていかなければならないと思いました。
めったに起きる病気ではありませんが、やはりいつ何がおこるかわからないのです。
この病気は予防が出来るものではありませんが、
ゆうきのように発見が早ければ、早いほど、失明の危険性もぐっと低くなります。
私は子供をもっているすべてのお母さん、お父さんに
どんな小さなことでも見逃さないで!と心から願っています。

このページを書いてきて書いている間に何度も涙がでました。
でも、書いてよかったと思っています。
もっとがんばらなくては!もっと強くならなくてはという気持ちが強くなったからです。
ながながと、つたない文章を書いてしまいましたが・・。ごめんなさい。
誤字、脱字がたくさんあるとおもいますがお許しください。 
最後まで読んでくれてほんとにありがとう・・・。

*Kiri

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21 : 58 : 11 | その後・・。 | トラックバック(0) | page top↑
2005 / 11 / 19 ( Sat )
●2002-1-21 --入院6日目--(手術日当日)

家に戻っていた私は、朝、5時半に家をでて、病院へむかった。 
手術開始は午前9時。 
朝の混んでいた時間ということもあり、病院についたのは8時をすぎていた。 
私がいった時、ゆうきは、ごろ~んとベッドにねていた。
元気ないな~とおもったら、それもそのはず・・
昨日の夜9時から絶食、絶飲をいわれていてそれにたえるのがつらかったらしい。
飲み物をたえずのんでいたいゆうき。食いしん坊なゆうき。
ゆうきにとっては手術より、つらいことだったのかも・・。 
8時20分、眠る薬を飲む。しかし・・。全然、寝ない。
おかしいな~??と看護婦さん。
お腹がすいてて眠れなかったのかも・・。
しょうがなく、眠るのを待たずに8時30分に手術室へむかう。 
手術室にむかう間、「どこに行く?」「なにをしに行く?」と連発している。
やはり、くわしい話をしなくてよかったとそのとき思った。
もし話ていたら、薬さえも飲んでくれなかっただろうし、
病室をでるのも一苦労だったようい思う。
でも、今度は手術室についてからが大変だった。 
私が手術室に一緒に入ったのだけど、
「何?何?なにをする~??」「いやだ~!!」と叫んでいた。
手術室の雰囲気も嫌だったようだ。
私も始めて手術室にはいったけど、やっぱりなんとなく・・。 
全身麻酔をかけるまで、ほんとに大変。
寝転がってといわれても「なんで??」 と言って手術台にすわっている。
先生と私で必死になだめるが、まったく効果なし。
「ほんとに薬のんできました~?」ときかれるほど・・。 
もうどうにもならないと判断し、先生3人と私とで
押さえつけ麻酔のマスクを口にあてる・・。
そうすると、少しずつ静かになり倒れるよう眠ってしまった。 
私はほっとして気が抜けたのもあり、涙が自然とあふれた・・。
こんな姿をみるのはほんとにつらかった。

先生が「大丈夫。なんにも心配いらないから。終わったらすぐよびますからね。」と
言われて、うなずくだけで、返事をすることができなかった。 

どうしてこんな思いをさせてしまうんだろう・・。
生まれつきの病気なら、私に原因があったのではないんだろうか?? 
実際、絶対にそうではないとわかっていても、
もっとちゃんと産んであげられたんじゃないんだろうか・・。
ごめんね・・。ごめんね・・。と心の中で何度も叫んでいました。
病室でまっているあいだ、ほんとに時間がたつのが遅くて、
予定の1時間がたたないうちにまだかな~・・。とそわそわしていた私。
だんなが、「おちつけや!」というが、おちついてなんかいられない。
全身麻酔の危険もあるし、不安で一杯だった・・。
予定の1時間がすぎても知らせがない。
看護婦さんに聞いても、まだ連絡がないとのこと・・。 
1時間半、2時間がたっても連絡がない。
なにかあったんじゃないかと聞いてみるが、
「何かあったらすぐ連絡がきますから。」といわれてしまう・・。 
2時間半がたったとき、さすがのだんなも心配になたらしく廊下をうろうろしだした。
そのときだった。

「おわりましたよ。」と看護婦さんによばれ、手術室へとむかう。 
待っていると、ゆうきがベッドにのせられてはこばれてきた。
左目には眼帯。 ぐた~っとしてとても疲れている様子。
何かあったのではないかと、看護婦さんにきいてみると・・。 
手術は無事終了し、時間も1時間半ぐらいでおわっていたという。
長くかかったのは、ゆうきが、ますいが切れるときに
すごく暴れて点滴の針をはずしてしまい、尚も暴れつづけ、
もう1度点滴をするために、眠る注射をうったのだという。
でも、それでもなかなかねむらず暴れつづけ、
やっとのことでねむって点滴をしなおしたのだという。
そうだったのか・・。とだんなも私も納得。 
暴れている姿が目に浮かんでくるようだった・・。
後で、きいたのだが、麻酔が切れる瞬間は、大人でも情緒不安定になり、
あばれることがあるそうだ。
子供はそれがきつく、親でもみているのがつらいほどで、
すごくあばれてわけのわからないことを叫んだりするそうで・・。
なかなか呼ばれなかったのは、先生がたがそんな姿を私達に見せまいとしてくれた
配慮だったのだ・・。(私が泣き虫なのをしっていらしたからな~・・。)

病室にかえってからもしばらくぐっすりねむっていた。 
だんなも早めにかえらなければいけなかったが、
(こうたが学校から帰ってくるので。)
私は、ゆうきが目を覚ました時、大好きなお父さんにいてほしいと
思うとおもい、ギリギリまでいてもらった。
しばらくして目をさまし、すぐになんか飲みたいと言ったゆうき・・。 
大好きなアクエリアスを飲んで、落ち着いている様子・・・。
もう、暴れることもないと判断し、だんなは、「よくがんばったな。」
と声をかけ、こうたが帰ってくるので急いで家に帰っていった。
その日はほとんど眠ったままでした。 
つかれたんだよね~。ほんとによくがんばった。おつかれさま・・。
そういう思いでいっぱいで、ゆうきがねむっているあいだ、
そばで一緒にねていました。

夜遅くなってから担当の先生がこられ、手術の結果を聞いた。 
手術事態は成功したと聞き、とりあえず一安心。 
でも・・。動いてできなかった検査をして、考えていた以上に、
広範囲にわたって病気が進行していることがわかった。
でも1回のレーザー治療はここまでが限界だといわれ、
これからまだ何度もレーザー治療が必要だと言われる。 
でもいろいろ考えていてもしかたない。
とにかくやれることはこれからもやっていくこと。それしかないんだもん。 
「これからもよろしくお願いします。」とお願いをした。
でも、何の異常もでてこなければ、明日退院してもいいといわれ、
とてもうれしくなった。 

〔その日のスケrジュール帳より〕
・ゆうき、ほんとにほんとによくがんばったね。 
明日おうちに帰れるよ。 よかったね。ほんとにお疲れ様・・。

●2002-1-22  --退院日--
昨日からほとんど眠っていたゆうき。
でも夕ご飯はお腹がすていたこともあり、ぺロッとたいらげたゆうき。 
今日はいよいよ退院。たくさんねむったら、
体力も回復したようで、元気になった。
回診も終わり、異常なしとのこと。予定通り今日の退院となった。 
「いつ帰ってもいいよ」といわれ、「早く帰ろう!!」というゆうき。
先生にこれからの診察について聞き、午前中のうちに退院をしました。 
先生や看護婦さんにお礼をいい、次の診察に必ず忘れずに
くるようといわれ病院をでました。
久しぶりの外にとてもまぶしそうにでも、とってもうれしそうにしていたゆうき。
ほんとによかったね・・。
これからまだまだ大変だけど、とりあえず、ほんとによかった。 

家に帰り、久しぶりにるかやこうたに会ってほんとにうれしそう・・。
しばらくはこうたともケンカもしなかった・・。
こうたも口ではいわないが、ゆうきが帰ってきてうれしいんだと思う。
こうたなりに心配もしていたんだろうし・・。 
やっと家族5人がそろった。 ほんとにうれしい1日でした。
まだまだこれから大変だけど、きっとがんばっていけるよね・・。

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21 : 57 : 35 | 入院生活【その2】 | トラックバック(0) | page top↑
2005 / 11 / 19 ( Sat )
●2003-1-16 --入院初日--
とうとう、この日がやってきました。
ゆうきより私のほうが緊張してたような・・。そんな気がする。 
10時までに病院に行くように言われだんなとゆうきが先に
T大学病院にむかい、私はるかを実家にあずけてから病院にむかう。

るかも今日から家族とはなれ実家で生活する。 
私と1日だってはなれたことのないるか・・。とても心配でした。
こうたはそのまま家にいることに。学校もあるし、
なんとかだんながこうたが学校から帰ってくる時間には
仕事から帰れるように、会社に話しをして。
こうたのことも心配でしたが、でもとにかく今はゆうきのことを
1番に考えてやらなければと自分に言い聞かせ、
病院へ向かう。病院への1時間ちょっとの車の中で
これからの入院生活のことをいろいろ考えた。
(どんなことがまっているのだろう・・。ゆうきはがんばれるのだろうか・・。
病気はなおるんだろうか・・。)
そんなことばかり考えながら車を運転して、病院についた。 

私が病院についたころにはゆうきは、病室にはいりおとなしくベッドにいた。 
担当の看護婦さんにいろいろ聞かれ、担当の先生と
これからの治療方針について話を聞いた。 
ゆうきは1日目ということもあり、 なんだかそわそわしていた。
入院ということがまだちゃんとわかっていない様子で、ベッドのまわりにある
いろいろなものに興味津々で、つつきまくっている。楽しそうにも見える。 
しかし、だんなが帰ってしまい、時間がたつにつれだんだん暗い表情になった。
「どうしたの?」と聞くと、「帰りたい。」と一言つぶやいた。 
その悲しそうな表情に、泣き虫の私はまた泣きそうになった。
なんとか涙をこらえ、「がんばってゆうきの目をなさなきゃ。
治ったら、すぐ帰れるんだよ。」そんな言葉しか言えない自分がなさけない。
すぐに治らないとわかっている私にはその言葉を言うのも精一杯だった。 
なんとも未熟の母親だと実感してくやしくてたまらなかった。 
初日の今日は検査もなく、とにかくゆっくりしているようにと言われる。
その後はゆうきは、備え付けのテレビをずっと見ていた。
そして9時には寝てしまった。 
悲しそうな表情は寝るまで変わらなかった。明日からがんばれるんだろうか??・・。
そんな思いでいっぱいだった 入院予定は1週間。
   
〔その日のスケジュール帳より〕
・入院1日目。そんなにたいくつでもない様子だが、
早くも「いつ帰る?」と聞いてくる・そして「帰りたい。」の一言・・。
とてもつらい

●2002-1-17 --入院2日目--
朝は6時には起きたゆうき。というか検温に看護婦さんがきて
「おはようございます」とおおきな声でいわれるので、
起きないわけにもいかない。
ごはんもしっかり食べたが、やっぱり暗い表情をしている。 
元気がないわけでもないが、たいくつしている様子。
担当の先生がこられ、今日から検査を始めるとのこと。 
どんなものかわからないが、とりあえず、なにかしていれば
ゆうきもたいくつしないかな・・。と思っていた。
でもそれはとても甘い考えだった。 
すごく大変というかゆうきにはつらい検査だった。
というかあんな検査大人でもたえられない・・。
はじめは視力検査と簡単なものだったが、次々と検査をする。
大きな病院なので、1つの検査をするたびにあっちこっちいかなきゃならない。
そして何個目かの検査。
問題の左目になにやらいれて検査するという。簡単にいえば、
目の中をみるためにレンズみたいなものをいれる。
それがまた、そんなものが目の中に入るの??と思えるほど大きい。 
案の定、ゆうきはガマンができず「いやだ~!」と叫びまくる。
でもしないわけにはいかない・・。
担当の先生も「できるまで、待ってるからゆっくりでいいよ・」
といってくれるが、見ていてもほんとにつらい・
がんばろう!!と何度も話し、叫びながらもなんとか終了・・。
しかし、さらにまた困難が・・。 
じっとしているのがすごく苦手なゆうき。
とにかくじっとしていなければできない眼底検査。
それも長時間。目を大きく開いてそこにライトを
あてられるのでまぶしくてたえられず目をつぶってしまう。そして動いてしまう。 
何度してもうまく検査ができない。とうとう泣き出してしまい、
検査の部屋から飛び出してしまった。
もう、言葉にならないぐらい見ているのがつらくて何度先生に、
「もういいです。もうやめてください。」といいそうになったか・・。
でも、ここでがんばらせなくては。絶対治してやらなくちゃ。
と言い聞かせ、ゆうきをなんとかなだめる。
もう1度検査の部屋に入るものの、なかなか検査にむかおうとはしない。 
やっとやる気になってくれたがやはりまぶしいのとじっとしていられない。
再び、泣き出してしまった。「帰りたい~。もういやだ~。」と泣き叫ぶ。
私はもうこらえきれなくなって一緒にないていた。
なんて情けないんだろうと思いながら、なんでこんなことに・・。
なんでゆうきがこんな思いを・・。という思いでいっぱいだった。
そうしていると先生が
「ゆうきくん、つらいな~。いやだな~・帰りたいよな。 
でもなどんなに逃げたくてももうこの病気からはにげなれないんだよ。
ゆうきくんが、たちむかっていかないとこの病気に
勝つことはできないし、もうがんばるしかないいんだよ。
先生も一緒にがんばるから。
おかあさんだって一緒にがんばってくれるんだから。」
といってくださった。その言葉にゆうきもすこし落ち着いた様子。
とりあえず、今日の検査はココで終わりということに・・。 
つらいほんとにつらい1日だった・・。

〔その日のスケジュール帳より〕
・検査、泣き出してしまう。 がんばろう。ゆうき。おかあさんも泣きたい。泣きたい。
でもつらいのはゆうきだよね。ごめんね。ごめんね

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21 : 56 : 06 | 入院生活【その1】 | トラックバック(0) | page top↑
2005 / 11 / 19 ( Sat )
■コーツ病との闘いのはじまり・・・

■どうしてうちの子が・・・■ 
●2002-1-04
2002年が始まり、今年もはじまったな~と思いながらすごしていた今年の正月・・。
義理のお姉さんたちも帰省していて、子供達もたのしそうにいとこたちとあそんでいる。
ふっと次男ゆうきの左目を見ると、ものもらいのようなものが出来ている。
だんなと「ものもらいができてるな~・・。遊びつかれてるのかな~」と話していた。
ゲームも普段よりたくさんしているし、目を使いすぎたんだろうと思い、
近くのT眼科にだんながつれていった。
しかし、いくらたっても帰ってこない。いったいどうしたんだろう。
正月の休み明けなので混んでいるのかな?と思いつつ、帰ってくるのをまっていた。 

そうやって待っていると、携帯がなった・・。だんなから・・。
「どうした?? なんでこんなにおそいの??」私はすぐにこう聞いた。 
だんなの返事は「検査をしてた。」 え!! 何の検査??
私はわけがわからなかった・・ものもらいで行ったのに、
何を検査するの?? とにかく検査をして左目がおかしいとのこと・・。
不安いっぱいで帰ってくるのを待ってた。 
だんなは、病院でいわれたことをすべて話してくれたが、何回聞いても、わからない。
病名は『コーツ病』________________________

もちろん聞いたこともない。ものもらいで行ったのだが、
それは、放っておけば治るとのこと。 
今、思えばこのものもらいが私達にこの病気を教えてくれた。 
ものもらいがでなけば、この病気にも気づくこともなく、
知らない間に病気がどんどん進行して、失明していたかも・・。
これが、うちにおそいかかったコーツ病への闘いの始まりだった・・。 
どうしてうちの子が?? そんな気持ちが心の中でいっぱいになった。

■逃れられない現実■
その日(1/4)のうちに、もっと大きな病院へ行くように言われ、
1番近いk市のk病院へ行く。 
ゆうきは痛みもなにもないので どうしてこんなにいろいろ検査
しなければいけないのかわからない様子・・。
検査の結果、(といっても最初にいったT眼科でした検査と同じことをしたのだが・・。)
やはり同じことをいわれ、コーツ病の可能性ありといわれる。
私は、初めてここで先生の説明を聞く。 とにかく早めの治療が必要で
治療方法は今の医学ではレーザー治療しかないと言われる。
「その治療をすれば、確実になおるのですか??」と、聞くと、
「わかりません。」という返事。
私はその場で涙をこらえるのに精一杯だった。ゆうきもすぐそばにいたし、
不安にさせてはいけないという思いでいっぱいだった。

ロビーにでて、ゆうきがトイレに行った時、ガマンしていた涙が一気にあふれだした。 
一緒にいただんなは、「絶対、大丈夫。」と、冷静にしている。
私にはそれが信じられなかった。

「どうして? 見えなくなっちゃうかもしれないんだよ。」 
そう言っているとますます涙がでてきてとまらない。
でも今思えば、だんながそこで気丈にふるまってくれていたので
もっと取り乱さなくてすんだのかもしれない。
とにかく、ここの病院でも治療はできないと言われ、
もっと大きな病院にうつるようにと紹介状をかいてもらう。
Y市にある、T大学病院にうつることになった。 
その日のうちにでも行ってほしいということだったが、
そこのT大学病院はまだ正月休みで診てもらえないということで、
病院があく1月7日に行くことに決まった。

長い3日間だった・・。7日になりだんなとともに、
(るかは実家にあずけていた。)T大学病院へ向かう。 
車で1時間ちょっとのところにある
その病院はかつてだんなも怪我をして入院したことのある病院。
ゆうきは「ここ、きたことがある。お父さんここにおったよな~??」と話していた。 

大きな病院だけあって診てもらうまでに何時間も待った。 
根っからのじっとしていられない性格のゆうきは、
あっちうろうろ、こっちうろうろで、たいくつそうにしている。
それもそうだろう・・。大人の私達でもじっとしているのがつらいほどまたされた。 
やっと、ゆうきの名前が呼ばれ、検査をしてもらうことに・・。
まず眼底の検査をするために、眼底をひろげる目薬をする。
これがまた、目がぼやけてしまう副作用があり、
さしてから眼底がひらくまで10分ぐらいまたなくてはいけないので、
またあっちうろうろ、こっちうろうろ・・。
でもやっぱり目がぼやけるのですこしはじっとしていた。

長い検査が終わり、先生の説明を聞く。 とても若い先生だったが、優秀な先生らしく、
この先生しかこの病気は診れないということだった・・。
4月からアメリカへ留学するので、担当はもたないようにしていらしたそうだが、
急遽呼び戻されたと言っておられた。
(は~・・ やっぱりそんなに大変な病気なんだ・・。)と、改めて実感した。

検査の結果はやはりコーツ病。でも確定はできないとのこと。
確定をするための検査はゆうきにはまだ無理だということで、
「確定判断ではありませんが、検査の結果を見る限りコーツ病でまちがいありません。」
と 逃れられない現実を叩きつけられた。
放って置けば確実に視力低下は進み、とにかく早めの治療をしなくては
いけないとのことで、レーザー治療をするために入院をするように言われる。 
今はベッドがいっぱいなので、「ベッドが空き次第連絡します。」と言われ、
そんなに余裕をもっていてもいいのかと不安をもちながら、
とにかくベッド空きの連絡を待つことに・・。

帰りの車の中で、ゆうきは疲れ果ててねてしまった。  
その間にだんなといろいろ話しをした。
子供のことをゆっくり話たのは久しぶりだったように思う。 
「とにかくやれることはやってやらなくては・・。たとえ治るかどうか
わからなくても何もしないよりはいい。」 そう2人で話した。 
私も泣いてちゃいけない。
(今はこの子の可能性を信じて、やれることをすべてやってやらなくては・・。)
そう、自分に言い聞かせるのがこのときの私にはギリギリのとこだった・・。

■あたたかい励まし■
当時、ゆうきは幼稚園にかよっていた。 
T大学病院にいった日の夜、担任の先生に電話いれ、病状の説明をする。 
話をしている間に泣いてしまうかもと思った私は、トイレで電話をした。 
病院でいわれたことを話し、とにかくやれることを
やってやらなければということを話した。
(案の定、私はビービ^泣いてしまい、先生も困ったと思う。)
先生はとてもあたたかく励ましてくださり、「早く見つかってほんとに
よかったと前向きに思って、一緒にゆうきくんを支えていきましょう。」
と言ってくださった。 
ほんとにあたたかい言葉だった・・。
普段からやんちゃで先生達を困らせているゆうき・・。
感謝の気持ちでいっぱいだった。

■入院の連絡■  *1月11日*
私の気持ちもすこし落ち着いてきた頃、 T大学病院から入院の日を知らせる電話が入る。 
入院の日は1月16日。 いよいよだと新たに現実と
たちむかわなくてはという気持ちが強くなった・・。 
幼稚園にもそのことを話し、ゆうきにも「がんばれ~!!」
と明るく応援の言葉をかけてくださった。 
ゆうきには、どこまで話していいのかわからなかったが、病院の先生の指導も受け、
不安にならない程度で今、自分がかかえていることについて話した。 

これから、一生闘っていかなくてはいけないこと。
自分がどんな病気をかかえているのかということ・・。 
ほんとにわかっているのかどうか不安な顔をしていたが、
あの子なりに受け止めてくれていると信じている。 
でも見えなくなるかもしれないということだけは、私の口からはいわなかった。
というか言えなかった。 だってそんなことは絶対に起きない。
起こさせないと信じているから・・・。

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21 : 54 : 49 | コーツ病との闘いの始まり | トラックバック(0) | page top↑
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