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2005 / 11 / 19 ( Sat )
■コーツ病との闘いのはじまり・・・

■どうしてうちの子が・・・■ 
●2002-1-04
2002年が始まり、今年もはじまったな~と思いながらすごしていた今年の正月・・。
義理のお姉さんたちも帰省していて、子供達もたのしそうにいとこたちとあそんでいる。
ふっと次男ゆうきの左目を見ると、ものもらいのようなものが出来ている。
だんなと「ものもらいができてるな~・・。遊びつかれてるのかな~」と話していた。
ゲームも普段よりたくさんしているし、目を使いすぎたんだろうと思い、
近くのT眼科にだんながつれていった。
しかし、いくらたっても帰ってこない。いったいどうしたんだろう。
正月の休み明けなので混んでいるのかな?と思いつつ、帰ってくるのをまっていた。 

そうやって待っていると、携帯がなった・・。だんなから・・。
「どうした?? なんでこんなにおそいの??」私はすぐにこう聞いた。 
だんなの返事は「検査をしてた。」 え!! 何の検査??
私はわけがわからなかった・・ものもらいで行ったのに、
何を検査するの?? とにかく検査をして左目がおかしいとのこと・・。
不安いっぱいで帰ってくるのを待ってた。 
だんなは、病院でいわれたことをすべて話してくれたが、何回聞いても、わからない。
病名は『コーツ病』________________________

もちろん聞いたこともない。ものもらいで行ったのだが、
それは、放っておけば治るとのこと。 
今、思えばこのものもらいが私達にこの病気を教えてくれた。 
ものもらいがでなけば、この病気にも気づくこともなく、
知らない間に病気がどんどん進行して、失明していたかも・・。
これが、うちにおそいかかったコーツ病への闘いの始まりだった・・。 
どうしてうちの子が?? そんな気持ちが心の中でいっぱいになった。

■逃れられない現実■
その日(1/4)のうちに、もっと大きな病院へ行くように言われ、
1番近いk市のk病院へ行く。 
ゆうきは痛みもなにもないので どうしてこんなにいろいろ検査
しなければいけないのかわからない様子・・。
検査の結果、(といっても最初にいったT眼科でした検査と同じことをしたのだが・・。)
やはり同じことをいわれ、コーツ病の可能性ありといわれる。
私は、初めてここで先生の説明を聞く。 とにかく早めの治療が必要で
治療方法は今の医学ではレーザー治療しかないと言われる。
「その治療をすれば、確実になおるのですか??」と、聞くと、
「わかりません。」という返事。
私はその場で涙をこらえるのに精一杯だった。ゆうきもすぐそばにいたし、
不安にさせてはいけないという思いでいっぱいだった。

ロビーにでて、ゆうきがトイレに行った時、ガマンしていた涙が一気にあふれだした。 
一緒にいただんなは、「絶対、大丈夫。」と、冷静にしている。
私にはそれが信じられなかった。

「どうして? 見えなくなっちゃうかもしれないんだよ。」 
そう言っているとますます涙がでてきてとまらない。
でも今思えば、だんながそこで気丈にふるまってくれていたので
もっと取り乱さなくてすんだのかもしれない。
とにかく、ここの病院でも治療はできないと言われ、
もっと大きな病院にうつるようにと紹介状をかいてもらう。
Y市にある、T大学病院にうつることになった。 
その日のうちにでも行ってほしいということだったが、
そこのT大学病院はまだ正月休みで診てもらえないということで、
病院があく1月7日に行くことに決まった。

長い3日間だった・・。7日になりだんなとともに、
(るかは実家にあずけていた。)T大学病院へ向かう。 
車で1時間ちょっとのところにある
その病院はかつてだんなも怪我をして入院したことのある病院。
ゆうきは「ここ、きたことがある。お父さんここにおったよな~??」と話していた。 

大きな病院だけあって診てもらうまでに何時間も待った。 
根っからのじっとしていられない性格のゆうきは、
あっちうろうろ、こっちうろうろで、たいくつそうにしている。
それもそうだろう・・。大人の私達でもじっとしているのがつらいほどまたされた。 
やっと、ゆうきの名前が呼ばれ、検査をしてもらうことに・・。
まず眼底の検査をするために、眼底をひろげる目薬をする。
これがまた、目がぼやけてしまう副作用があり、
さしてから眼底がひらくまで10分ぐらいまたなくてはいけないので、
またあっちうろうろ、こっちうろうろ・・。
でもやっぱり目がぼやけるのですこしはじっとしていた。

長い検査が終わり、先生の説明を聞く。 とても若い先生だったが、優秀な先生らしく、
この先生しかこの病気は診れないということだった・・。
4月からアメリカへ留学するので、担当はもたないようにしていらしたそうだが、
急遽呼び戻されたと言っておられた。
(は~・・ やっぱりそんなに大変な病気なんだ・・。)と、改めて実感した。

検査の結果はやはりコーツ病。でも確定はできないとのこと。
確定をするための検査はゆうきにはまだ無理だということで、
「確定判断ではありませんが、検査の結果を見る限りコーツ病でまちがいありません。」
と 逃れられない現実を叩きつけられた。
放って置けば確実に視力低下は進み、とにかく早めの治療をしなくては
いけないとのことで、レーザー治療をするために入院をするように言われる。 
今はベッドがいっぱいなので、「ベッドが空き次第連絡します。」と言われ、
そんなに余裕をもっていてもいいのかと不安をもちながら、
とにかくベッド空きの連絡を待つことに・・。

帰りの車の中で、ゆうきは疲れ果ててねてしまった。  
その間にだんなといろいろ話しをした。
子供のことをゆっくり話たのは久しぶりだったように思う。 
「とにかくやれることはやってやらなくては・・。たとえ治るかどうか
わからなくても何もしないよりはいい。」 そう2人で話した。 
私も泣いてちゃいけない。
(今はこの子の可能性を信じて、やれることをすべてやってやらなくては・・。)
そう、自分に言い聞かせるのがこのときの私にはギリギリのとこだった・・。

■あたたかい励まし■
当時、ゆうきは幼稚園にかよっていた。 
T大学病院にいった日の夜、担任の先生に電話いれ、病状の説明をする。 
話をしている間に泣いてしまうかもと思った私は、トイレで電話をした。 
病院でいわれたことを話し、とにかくやれることを
やってやらなければということを話した。
(案の定、私はビービ^泣いてしまい、先生も困ったと思う。)
先生はとてもあたたかく励ましてくださり、「早く見つかってほんとに
よかったと前向きに思って、一緒にゆうきくんを支えていきましょう。」
と言ってくださった。 
ほんとにあたたかい言葉だった・・。
普段からやんちゃで先生達を困らせているゆうき・・。
感謝の気持ちでいっぱいだった。

■入院の連絡■  *1月11日*
私の気持ちもすこし落ち着いてきた頃、 T大学病院から入院の日を知らせる電話が入る。 
入院の日は1月16日。 いよいよだと新たに現実と
たちむかわなくてはという気持ちが強くなった・・。 
幼稚園にもそのことを話し、ゆうきにも「がんばれ~!!」
と明るく応援の言葉をかけてくださった。 
ゆうきには、どこまで話していいのかわからなかったが、病院の先生の指導も受け、
不安にならない程度で今、自分がかかえていることについて話した。 

これから、一生闘っていかなくてはいけないこと。
自分がどんな病気をかかえているのかということ・・。 
ほんとにわかっているのかどうか不安な顔をしていたが、
あの子なりに受け止めてくれていると信じている。 
でも見えなくなるかもしれないということだけは、私の口からはいわなかった。
というか言えなかった。 だってそんなことは絶対に起きない。
起こさせないと信じているから・・・。

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テーマ:病気 - ジャンル:育児

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